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4件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号

またその当時カラカンダにおいて東京外国語学校とか、ハルピン学院におつた優秀な通訳の人はすべて特別な収容所におりました。そこで私のような独学に近い者でも、その当時一番優秀な通訳なつておつたわけであります。ソ連側としては、収容所共通通訳として捕虜を採用するわけに行かない。しかしながら捕虜の間の講師としてという名目で採用しようということになつておりました。

菅季治

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

当時私は建国大学に教鞭をとります前に、ハルピン学院におりました。ハルピン学院の教授をいたしておりました。若干ロシア語を心得ておりましたので、自然ロシア語通訳として終戰当時から入ソ後まで、暫くの期間しておりました。一九四五年十月十九日、これは中央アジア、ウズベック共和国首府タシケント東方約百キロの地点にあるところの小さな炭鉱町でありますアングレンに入りました。

尾ノ上正男

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

北條秀一君 時間を惜しみまして極めて簡單にお答え願いたいのですが、先程俘虜の給料が四百五十六ルーブルだというお話でありましたが、これは俘虜取扱規定に基いて軍曹以下、軍曹以上、将校、こういう段階が分けられたという話でありますが、そういう事実があつたかということ、それからもう一つは午前中の証言にありましたハルピン学院の教護、卒業生が可なり抑留されているという話でありましたのでお驚きしたいのですが、一九四五年

北條秀一

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

それから二番目の御質問の北滿経済調査局或いはハルピン学院関係でありますが、ハルピン学院は大体向うではスパイ学校と言つておりますが、ハルピン学院を出た者は君もそうでありますが、一応全部帰つております。殊に卒業いたしましてからロシア関係の仕事に従事しておる者は、大体九分五厘まで刑に服しております。

尾ノ上正男

1949-05-12 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

絶対に帰さない人間というのはどういう者かというと、これは新聞社政治部長の話では憲兵特別志願將校ハルピン学院通訳、これは皆日本のスパイ軍國主義者の最も代表的な者だ、これは帰さん。こういうようなことが新聞社の方に命令がありました。私達はそのことは聞いております。その收容所に全部その新聞を配りまして、そうして最も親ソ分子といわれる人がその新聞を読んで解説をする。いろいろ読書会等も設けました。

小針延次郎

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